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東京地方裁判所 平成8年(ワ)13364号 判決 1997年8月26日

原告

久川能武義

右訴訟代理人弁護士

石田義俊

被告

株式会社イースター

右代表者代表取締役

岸登

右訴訟代理人弁護士

栗原浩

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

一  請求

被告は原告に対し、金五〇〇〇万円及びこれに対する平成八年七月二七日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  事案の概要

本件は、被告の創立者であり設立時から退職するまで代表取締役等であった原告が被告に対し、退職慰労金の支払を求めたところ、被告は株主総会決議により退職慰労金支給決議が否決されたとしてその支払を拒む事案である。

三  争いのない事実

1  被告は、繊維製品の製造、加工及び販売を目的として、昭和三九年四月二一日設立された会社であり、原告は、被告の創立者で設立時から常勤役員(代表取締役、取締役)として、平成七年六月三一日退職するまで経営に携わってきた者である。

2  被告の定款には、退職慰労金に関する規定はなく、被告の役員退職慰労金規定五条、同附則一条には、役員退職慰労金の支給額は、退職時の最終報酬月額に役員在職通算年数を乗じた額と定められている(以下「本件退職慰労金規定」という。)。

3  平成八年五月二八日、被告の株主総会において、原告に対する退職慰労金支給に関する議案が否決された(以下「本件決議」という。)。

四  争点

1  被告の退職慰労金支払義務の存否

(原告の主張)

(一) 原告の被告在職通算年数は、三一年二か月一〇日であり、最終役員報酬月額は、金一六〇万円である。

本件退職慰労金規定によれば、原告の本件退職慰労金の支給額は、次のとおり、金五〇〇〇万円となる。

(算出方法)

160万円×31年+160万円×3/12≒5000万円

(二) 原告は、本件退職慰労金規定に基づき、右金五〇〇〇万円の支払を求める。

(被告の主張)

(一) 退職慰労金の支給が株主総会で否決された事情は次のとおりである。

(1) 原告は、被告の代表取締役に就任していたころから、役員報酬とは別に毎月約三〇万円の金員を被告から借り入れ、平成六年一〇月まで続け、現在、被告の原告に対する貸付金の残額は、元本一七〇〇万一一四二円、利息三八四万二〇八九円、合計二〇八四万三二三一円に及んでいるところ、被告の金融機関に対する融資の申し入れに際し、金融機関から原告の右借入金の存在により、融資金が原告に対する貸付金に使用され、事業資金に使用されないのではないかとの指摘をたびたび受け、新規の借入が次第に困難になり、金融機関への信用を喪失していった。

(2) 被告は都民銀行から短期借入金があるところ、平成六年七月、一億円の借入金の返済期日が到来するので、同行と新規の借入契約を再度締結する必要があった。右の被告の借入に際し、原告が連帯保証人であったため、同行から新規の借入に際しても連帯保証人として新代表取締役の岸及び旧代表取締役の原告の両名がなるように要求されたところ、原告は連帯保証人となることを拒否した。

(3) 被告は、平成五年三月決算(二九期)は、売上高約二五億円、経営損失約六四〇〇万円であり、平成六年三月決算(三〇期)は、売上高約二〇億円、経営損失約一億五六〇〇万円という危機的経営状況に陥った。それ以前の平成四年度(二八期)の売上高が約三四億円に比して、三、四割の売上減少となっており、原告はこれに対し経営改善の処置をとるべきであったのに、平成六年当時約一九〇〇万円の役員報酬を削減せず、人件費の抑制や経営全般にわたる経費の削減も不十分であり、金融機関に対する対処の仕方も不十分でいたずらに金融機関に対する不信感をかうなどの態度をとっていた。

(4) また、原告在任中において、被告の売掛金のうち、最も多額の株式会社エムディーエスに対する債権約六〇〇〇万円及び株式会社フルールヴォレに対する債権約三一〇〇万円は、右各社の営業不振あるいは事実上の倒産により回収困難で、不良債権となっている。

(5) これらの事情から、被告の取締役会において、原告の被告設立及び被告発展への貢献度を最大限考慮したとしても被告を倒産直前までにした原告の経営責任は重大であり、かつ、被告の経営状況からみても退職慰労金の支給は相当でないと決議され、平成八年五月二八日の定時株主総会において、右の取締役会の多数意見を述べて、株主間でも議論を尽くしたところ、原告に対する退職慰労金支給の議案は否決されたものである。

(二)(1) 株主総会が取締役に対する報酬を削減ないし支給しない旨の決議をなしうることは、商法二六九条の明文及び同条の趣旨から明らかである。

したがって、被告がその株主総会において、原告に対する退職慰労金の支給を否決したことは有効かつ適法である。

(2) 原告主張のごとく、株主総会において、特別の事情のない限り退職慰労金支給を否決することはできない旨主張するが、そうすると株式会社は退職慰労金を原則的に支給せざるを得なくなり、会社の財務内容に深刻な悪影響を与え、かつ、その不利益は最終的に株主が負うこととなり、株主の犠牲のもとに取締役の退職慰労金の支給を保証すべき法的要請があるとは到底いえない。

(3) 仮に、退職慰労金に関する株主総会の決議内容に何らかの制限があるとしても、株主の総意が最大限尊重されるべきであり、その決議内容の制限は最小限度に止めるべきであり、当該取締役の在任中の経営内容、会社への損失の有無、対外的な影響、会社の財務に与える影響など総合的に考慮し、株主総会の自由な裁量権に基づき、退職慰労金の支給の有無、支給額を決議できるが、極めて例外的な場合にその決議が違法となることもあり得るに過ぎないと解すべきである。

本件においては、原告の在任中の経営内容ことに被告に与えた損失、退職金支給を認めた場合の被告の経営及び取引先等に与える影響、原告の被告への貢献度をも考慮して十分議論されたうえなされたものであるから、適法であり、その株主の総意は最大限尊重されるべきである。

(原告の反論)

(一) 被告は、平成五年三月決算(二九期)、平成六年三月決算(三〇期)において赤字計上となったが、これはいわゆるバブル崩壊という全日本的な経済崩壊のため、主力取引先の経営ないし営業状態が急激に悪化した影響を受けたことによるものであり、これを原告の責に帰することはできない。

原告は、経営者として、被告設立以来平成四年三月決算期(二八期)まで毎期利益を上げ、常時一〇ないし一五パーセントの配当をするという極めて優良な経営を続けてきている。

(二) 原告は、平成六年五月から同年七月まで糖尿病及び胃潰瘍の急激な悪化のため、都立広尾病院に入院した。原告は被告の金銭負担軽減のため、平成六年六月以降は、傷病手当(手取金三〇万円)によって、生計をたて、被告からの報酬は一銭も受領しないという配慮までして、被告の業績回復に努めた。

(三) 岸は、原告の排除を画策し、被告から原告を排除するべく、被告の取締役に復帰させた滝口昌宏、塩脇修らの歓心を取り付け、また、社外株主であるユニチカ株式会社の担当者を岸が主宰する北友グループ東京所長として取り込む等して、原告を退職に追い込んだ上、退職金不支給の決議をさせたものであり、株主総会といえども正当な理由なく、退職者の権利を侵害できないのは当然であり、右株主総会決議は違法、無効なものである。

(四) 被告には従前から本件退職慰労金規定が存し、過去の退職慰労金の支給は、右規定によって処理され、一定の支給基準が確立していたものであって、退職慰労金支払は職務執行の対価である以上、正当な理由あるいは特段の事情が存しない退職慰労金の不払は、権利の濫用であり許されないものであり、被告が主張する取締役会及び株主総会決議理由は、事実に反しかつ正当な理由がない。

2  被告の不法行為責任

(原告の主張)

(一) 被告の代表取締役岸、取締役滝口昌宏、同塩脇修及び同柿本信一は、共謀して、原告への退職慰労金の支払を不当違法に履行しないことを企て、被告の本件退職慰労金支払に関する株主総会開催前に社外株主のユニチカ株式会社の担当者に対し、被告にも損失を与える利便を供与して、右担当者を岸側に取り込み、また、被告の各株主に対し、株主総会前及び株主総会において、原告に対する虚偽の中傷を繰り返し、退職慰労金を支払わない旨の決議をさせたものである。

(二) 岸他の右取締役らの行為は、職務の執行につき、原告に退職慰労金と同額の損害を与えたものであるから、被告において右損害を賠償する責任がある。

五  判断

1(一)  原告は、退職慰労金の法的性質は職務執行の対価であり、本件退職慰労金規定により、当然に原告の被告に対する退職慰労金支払請求権が発生している旨主張する。

しかしながら、退職慰労金の法的性質が職務執行の対価あるいは功労に対する報償金の性質を有するとしても、商法二六九条に定める報酬に含まれると解されるところ、同条によれば、定款にその額の定めがない場合には株主総会決議によりその額を定めることとされているから、退職慰労金の支給の有無、相当性は、株主総会の自主的判断に委ねられているというべく、株主総会がその与えられた権限を著しく逸脱して公序良俗に反するような決議をした場合を除いて、右決議がない場合には、原告の被告に対する退職慰労金支払請求権は発生しないものといわざるを得ない。

なお、会社と取締役の法的関係が委任ないし準委任関係にあり、明示または黙示的に報酬を与える特約が存在するとしても、報酬額が定款または株主総会の決議により定められない限り、具体的報酬請求権は発生しないと解されるが、右株主総会決議が公序良俗に反するような場合には、右報酬請求権が発生すると解する余地がある。

(二)  そこで、被告の株主総会のなした本件決議が公序良俗に反するような場合に当たるか否かについて、検討する。

前記争いのない事実及び証拠(甲第五ないし第七、第一二ないし第一四、第一八、第二三、第二七ないし第二八号証、乙第一ないし第一七号証(枝番号を含む。)、原告本人、被告代表者)によれば、次の事実が認められる。

原告は、昭和三九年四月二一日設立された被告の創立者で、代表取締役あるいは取締役として三一年二か月余り経営に携わってきたが、平成六年一月ころ、原告は被告の経営が困難となってきたため、旧知の岸に被告の代表者として経営に協力するよう要請した。岸はこの要請に応じ被告の株式を取得して、同年四月一日(同月二一日登記)代表取締役に就任するとともに被告の債務について連帯保証して被告の経営に積極的に取り組むこととなった。なお、原告は同年七月六日(同月一一日登記)まで被告の代表取締役であったが、同日、代表取締役を辞任し、平成七年五月には取締役を辞任した。

原告が被告の代表取締役に在任中の被告の経営状況は、二二期(昭和六〇年四月一日から昭和六一年三月三一日まで)ないし二八期(平成三年四月一日から平成四年三月三一日まで)の決算報告書によれば、最大経常利益約二億四四二一万円、最少経常利益約四〇一七万円であって、平成二、三年ころから被告の収益力が落ちてきた。二九期(平成四年四月一日から平成五年三月三一日まで)の決算報告書によれば、売上高約二五億九七七二万円、経常損失約六四九九万円であり、三〇期(平成五年四月一日から平成六年三月三一日まで)の決算報告書によれば、売上高約二〇億九二五六万円、経常損失約一億五六九〇万円であって、このような経営の悪化により、原告が岸に対し、被告の経営の協力を要請したのであった。また、岸が代表取締役となった以降の被告の経営状況は、三一期(平成六年四月一日から平成七年三月三一日まで)の決算報告書によれば、売上高は約一六億一八六八万円、経常損失は約一三〇三万円であり、三二期(平成七年四月一日から平成八年三月三一日まで)の決算報告書によれば、売上高約一三億五〇万円、経常利益は約二一七万円であって、未だ十分な経営状況とはいえず、岸は代表取締役としての報酬を全く受けていない。

このような状況であったので、原告は、平成六年度の被告株主総会で、三〇期決算において大幅な赤字を計上したことに対し、代表取締役としての責任を痛感し、業績の悪化については経営方針に間違いがあったとして反省している旨の挨拶を行った。

その後、原告は糖尿病を患って平成六年五月一九日から同年七月一日まで入院し、執務不能となったので、取締役としての報酬は無報酬となり、同年五月二二日から平成七年一一月二一日までの一年六か月の間は、傷病手当金の支給を受けていた。

また、被告は東京都民銀行から一億円の借入金があったところ、平成六年一〇月、右銀行に対して振出していた約束手形の書換の際、右銀行から原告が被告の保証人となるよう求められたので、被告が原告に対し、保証人となるよう要請したところ、原告はこれを拒んだため、銀行に対する信用を失墜し、被告は資金繰りに窮して、他の金融機関から融資を受けざるを得ない状況となり、経営も困難となった。

さらに、平成八年三月三一日当時において被告の回収不能の売掛金債権が約九一九三万円あり、これは原告の在任中に生じた債権であった。なお、右債権は、積立金により償却処理された。

一方、原告は被告の代表取締役に就任したころから、平成六年六月まで被告から毎月約三〇万円ほどの借入を継続しており、平成八年三月三一日現在で、元本金一七〇〇万一一四二円、利息金三八四万二〇八九円、合計金二〇八四万三二三一円に及んでいる。

このような経緯により、平成八年五月一一日の被告の取締役会において、原告に対する退職慰労金を支給しない旨の決議をし、同月二八日、定時株主総会において、原告が在任中多額の損失を計上し、多額の不良債権を生じせしめ、銀行及び取引先に対して多大な信用不安を招いた経営責任は免れないとの取締役会の議事内容を開示し、審議したところ、株主の多数決議により、原告への退職慰労金を支給する旨の決議案が否決された。

(三) 右の事実によれば、被告の経営状況は依然として悪化しており、原告の経営方針の誤りないし経営改善策が十分になされていなかったことがその原因であると窺われる以上、原告が現在経済的に困窮しているとしても、本件決議が公序良俗に反するものであるということはできない。

他に本件決議が公序良俗に反するものであることを認めるに足る証拠はない。

2  原告は、被告の不法行為責任がある旨主張するが、被告代表取締役である岸ほか取締役に原告主張の不法行為があったことを認めるに足る証拠はない。

3  以上のとおり、原告の請求は理由がない。

(裁判官玉越義雄)

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